はじめに
マーケティングの世界では、かの有名なフィリップ・コトラーが提唱したSTP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)の考え方が広く知られています。特に「ターゲットを狭く絞り、明確に訴求せよ」というアプローチは、多くのマーケターにとって“鉄則”とまで言われてきました。しかし、本当にそれが最適解なのでしょうか?
実は「ターゲットを過度に狭くしすぎると効率が落ちる」という研究データや実績は少なくありません。本記事では、“ダブルジョパディの法則”をはじめとしたデータに基づき、「できるだけ広く売る」ことの優位性を論理的に解説します。そして、最終的に予算やリソースなどの制約でターゲットを絞らざるを得ない状況であれば、どのように最適化していくかという視点も取り上げます。
コトラーの「ターゲットを狭くする」手法とは
フィリップ・コトラーはSTP理論の第一人者として知られていますが、そのフレームワークの「STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)」では、明確なセグメント設定を行い、自社の商品・サービスに最もフィットする層に優先的にアプローチすることを推奨しています。これはある意味「最小のリソースで最大の効果を得る」ことを目指した方法論ともいえます。
しかし、コトラーの教えが広く普及するにつれ「よりスモールセグメントの方が効率的なのではないか」「かなり尖ったニッチ層をターゲットにした方が差別化され、競合に戦わずして勝てるのではないか」という考えが行き過ぎてしまうケースが増えました。この思考は、企業規模や商品によっては、ターゲットをある程度広く捉える選択肢を最初から排除してしまうリスクが高まるのです。
なぜ過度に狭めると非効率になるのか
(1) 見込み客の母数が圧倒的に減少する
ターゲットを狭めるほど、当たり前ではありますが潜在顧客・見込み客の母数は減っていきます。特に新規顧客獲得フェーズや市場拡大を目指す企業にとっては、“より多くの人”に認知や利用を広げる方がスケールメリットを享受しやすいのが実情です。
狭いセグメントだけに注力してしまうと、一定数の獲得までは効率が良くとも、その後の拡大余地が急激に縮小し、結局は大きな成長を見込めなくなります。
(2) ブランディング効果が制限される
商品やサービスのブランディングにおいては、多くの人に認知されていることが大きな価値となります。いわゆる「ブランド力」は知名度と親和性の蓄積によって形成されるため、ターゲットを過度に制限してしまうと、商品・サービスが本来持っているポテンシャルまで引き上げられない可能性が高くなります。
(3) イノベーションや他用途、派生ビジネスの機会を逃す
「ユーザーはAという特定用途だけで商品を使う」という思い込みが強すぎると、実は別の用途や別の顧客層による利用機会を見落としてしまうことがあります。幅広い市場に向けてアプローチし、多様なセグメントの声を拾うことで、新しい機能開発や派生サービスのアイデアが生まれるケースは少なくありません。
ダブルジョパディの法則が示す真実
マーケティングの世界で有名な「ダブルジョパディの法則(Double Jeopardy)」によると、市場浸透率(ブランドの利用者数)が大きいブランドほど購入頻度も高くなり、逆に浸透率の低いブランドは購入頻度も低い傾向にあるとされています。
これは数多くのデータによって裏付けられている“絶対の法則”と言われるもので、要するに「広く売ってブランドを認知・利用してもらうほど、結果としてリピーターも多くなり、購入回数も高まる」ということです。
過度にターゲットを絞ってしまうと、この市場浸透率を高めるチャンスを失い、結果的にダブルジョパディの法則の逆を行く――購入頻度の低い、規模が限られたブランドになりやすいとも言えます。
まずは「できるだけ広く」考えるべき理由
(1) 最大の機会損失を防ぐ
最初から「うちは特定業界向けのBtoBだから対象はこの業界だけ」といった形で絞りすぎると、実は横の異業種にも需要があったり、全く別のユースケースを持つ潜在顧客がいたりする可能性を捨ててしまいます。広く考えることで、こうした事業成長の余地を逃さずに済みます。
(2) スケールメリットによる効率改善
広告投資やプロモーション施策は、一定以上のボリュームが出てくるほど単価が下がりやすい性質があります。規模が拡大すれば仕入れコストや物流費も下がり、ネットワーク効果が得られることもあるでしょう。ビジネス面でのスケールメリットを享受するには、幅広い市場へのアプローチが一つの鍵となります。
(3) ブランドの再現性・蓄積効果
多くの人に使われるブランドは、その市場規模に応じて徐々に口コミや評判が広がり、安定した存在感を示すようになります。特定のニッチ向けに閉じてしまうブランドと比べ、後々リブランディングや新商品の追加などを行いやすいのも、広いユーザーベースを持っているブランドの強みです。
それでもターゲットを絞らざるを得ない場合
とはいえ、現実的には企業の予算やリソース、サービスの特性によって「やみくもに全方向へ打って出る」ことが難しい場面も多いでしょう。その場合、以下のステップで最適化することをおすすめします。
- まずは広くターゲットを拾えるWho/What/Howの組み合わせを模索する
どのWho/What/Howの組み合わせが最もプレファレンス(相対的好意度)を最大化できるかを考えましょう。 - 必須条件の洗い出し
どうしても優先度を高める必要があるターゲット層を抽出(事業モデル上、初期顧客になりやすい層など)。 - 追加アプローチの可能性を常に検討
絞っている間でも、次の優先度の高いターゲット層を想定しておき、その準備をしておきましょう。
重要なのは、「制約があるから仕方なく絞る」というスタンスであって、「最初から“狭いほど効率的”と決めつけない」ことです。
すべての人を喜ばせようとするリスクと“狭すぎない”ターゲットの意義
一方で、可能な限り広く売るといっても「すべての人を喜ばせよう」としてしまうと、結果的に誰にとっても中途半端な商品・サービスになってしまう恐れがあります。また、限られたマーケティング予算を薄く広く配分してしまうと、どの施策も力不足になりがちで、十分な効果が得られないことが多いのも事実です。
したがって、マーケターとしては「Who/What/Howo(誰のためのサービスか)」を考える際に、目的に対して“狭すぎない”ことを最優先に意識しながらも、むやみに万人受けを狙うのではなく、商品・サービス特性に見合った範囲でのターゲット拡大を考えるべきなのです。
また、我々マーケターは市場全体における“プレファレンス(相対的好意度)”をできるだけ大きく獲得することを意識し、ターゲットはできる限り拡げる、あるいは不必要に狭くしないというアプローチが重要となります。こうした考え方が、最終的にブランドの大きな成長と長期的なロイヤルティ向上をもたらす可能性が高まるでしょう。
事例:USJのターゲット再定義がもたらした成功

実際の事例として、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は最初「ハリウッド映画のテーマパーク」というコンセプトを前面に出していた時期がありました。しかし、それだけに固執したままであったならば、競合テーマパークとの差別化は十分に図れず、ブランドとして埋没していたかもしれません。もし“ハリウッド映画好き”にしか刺さらないターゲット設定だけを続けていたら、今のような大きな成功には至らなかったでしょう。
そこでUSJは、「多くのゲストがエンターテインメントを楽しめる空間」を目指し、ハリウッド映画以外にもキャラクターやゲームIPとのコラボを積極的に導入。今ではミニオンや任天堂エリアなどが大きな集客要因となっています。仮にずっとターゲットを映画ファンに限定していれば、ここまでの成長や多様な集客にはつながらなかったのは間違いありません。
このように、ターゲットやコンセプトを不必要に狭く捉えず、幅広いニーズに応える設計を取り入れたことがUSJの復活劇のカギとなりました。WhoとWhat(どんな価値を提供するのか)は後から大きく変えることが意外と難しい場合があるため、できるだけ多くのマーケットから好意を獲得できるように初期設計から作り込むことが、ブランド成功の近道と言えます。
まとめ
ターゲットを狭めて徹底的に訴求するというコトラーの手法は、今まで有効な戦略と思われてきました。しかし、実証的データ(ダブルジョパディの法則)が警鐘を鳴らすように、ブランドは広く普及させるほど購入頻度も上がり、リピーターとの関係性も強化されるのが実際に起こっていることです。
もちろん企業にとって資金面や人材などのリソース面で制約はつきものですが、まずは可能な限り広い市場に向けてアプローチすることで機会損失を最小化し、ブランドの認知・利用者数を増やすメリットを享受すべきです。そのうえでどうしても予算の都合や仕様上の問題でターゲットを絞る必要が出てきたときは、無理のない範囲で最適化していく――これこそが現代のマーケターが心得るべき、合理的なマーケティング思考と言えるでしょう。