はじめに
「値上げラッシュの時代に、なぜあの企業は低価格を維持できているのか?」
外食業界では多くの企業が原材料費や人件費の高騰に苦しみ、値上げを余儀なくされています。そんな中、サイゼリヤは「ミラノ風ドリア300円」という驚異的な価格を維持しながら、売上高2,567億円、営業利益155億円という好業績を達成しました。
この決算資料から読み解けるのは、単なる「安売り戦略」ではありません。サイゼリヤが実現しているのは、低価格でも高収益を生み出すマーケティング戦略です。本記事では、マーケターの視点からサイゼリヤの決算内容を分析し、自社のビジネスにも活かせる戦略のヒントを抽出していきます。
サイゼリヤの企業概要と2025年8月期の業績サマリー
サイゼリヤは、イタリアンファミリーレストランチェーンとして国内外に展開する外食企業です。2025年8月期の決算では、コロナ禍から完全に回復し、過去最高レベルの業績を達成しています。
主要な財務指標
指標 | 2025年8月期実績 | 前年比 | 特徴 |
---|---|---|---|
売上高 | 2,567億円 | 114.3% | 前年から321億円増加 |
営業利益 | 155億円 | 104.3% | 営業利益率6.0% |
当期純利益 | 112億円 | 137.0% | 大幅な利益成長 |
総店舗数 | 1,682店舗 | 113店舗増 | 国内1,053店、海外629店 |
客数 | 2.99億人 | 112.6% | 年間3億人近くが来店 |
客単価 | 857円 | 102.0% | 低価格を維持しつつ微増 |

この数字から見えてくるのは、売上の大幅な伸びと、それに見合った利益成長です。特に注目すべきは、客数が前年比12.6%増と大きく伸びている点で、これは「価格据え置き戦略」が消費者に支持されている証拠と言えます。
国内と海外の業績の対比
エリア | 売上高 | 前年比 | 営業利益 | 前年比 | 特徴 |
---|---|---|---|---|---|
国内(サイゼリヤ) | 1,729億円 | 118.1% | 50億円 | 183.9% | 好調な既存店が牽引 |
海外(アジア) | 838億円 | 107.4% | 101億円 | 87.2% | 売上は増も利益は減少 |
海外(豪州) | 111億円 | 102.9% | 3億円 | 68.7% | 小規模ながら安定 |
国内事業が力強く成長している一方で、海外、特に中国市場では既存店売上が前年比80%台と苦戦しています。この明暗が分かれる理由こそ、マーケティング戦略を考える上で重要なヒントとなります。

マーケティング観点での3つの注目点
注目点①:国内市場での圧倒的な客数回復力
サイゼリヤの国内既存店売上は、2024年後半から2025年にかけて前年比115〜120%台という驚異的な伸びを記録しています。この数字は、単なる「コロナからの回復」では説明できません。
売上高の内訳を見ると、客数の伸びが客単価の伸びを大きく上回っていることがわかります。つまり、値上げではなく「より多くの人に来てもらう」戦略が奏功しているのです。
時期 | 売上高前年比 | 客数前年比 | 客単価前年比 |
---|---|---|---|
2024年3月 | 127.9% | 120.6% | 106.1% |
2024年6月 | 129.9% | 123.0% | 105.6% |
2025年3月 | 114.4% | 114.3% | 100.2% |
2025年8月 | 121.4% | 119.1% | 101.9% |

この戦略の背景には、物価高騰時代における「コスパの良さ」への消費者ニーズの高まりがあります。多くの外食チェーンが値上げに踏み切る中、サイゼリヤは価格を据え置くことで、価格に敏感な顧客層を大量に獲得しています。
マーケターとして学ぶべきポイントは、「値上げしない」という選択肢も、市場環境次第では強力な差別化戦略になるということです。全ての企業が値上げする市場では、価格据え置きがむしろ目立つのです。
注目点②:海外市場、特に中国での苦戦が示す「ローカライゼーション」の課題
一方で、海外市場では明暗が分かれています。特に中国市場(上海・広州・北京)では、既存店売上高が前年比80%台と大きく落ち込んでいます。
エリア | 既存店売上前年比 | 店舗数 | 営業利益前年比 |
---|---|---|---|
上海 | 83.8% | 197店 | 76.4% |
広州 | 88.8% | 222店 | 72.7% |
北京 | 84.6% | 78店 | 79.7% |
香港 | 99.7% | 69店 | 117.7% |
シンガポール | 101.8% | 38店 | 128.8% |

香港やシンガポールではほぼ前年並みか改善しているのに対し、中国本土では厳しい状況が続いています。この差は何を意味しているのでしょうか。
中国店舗での不振は2024年3Qから続いています。それまでは凄まじい成長だったことも読み取れます。考えられる要因として、中国本土の消費不況が挙げられます。中国経済は不動産不況を背景とした内需減速によりデフレが進行しており、外食への支出が減少している可能性があります。また、現地の競合他社との競争激化も影響していると推測されます。
マーケティングの視点から見ると、これは「グローバル展開におけるローカライゼーションの重要性」を示唆しています。日本で成功したビジネスモデルをそのまま海外に持ち込んでも、現地の経済状況や消費者ニーズに合わなければ苦戦するのです。
注目点③:売上原価率の悪化をカバーする販管費削減の徹底
財務データを詳しく見ると、興味深い傾向が見えてきます。売上原価率は前年比で0.7ポイント悪化していますが、販管費率は0.2ポイント改善しています。
項目 | 2025年8月期 | 2024年8月期 | 差異 |
---|---|---|---|
売上原価率 | 41.9% | 41.2% | +0.7pt |
販管費率 | 52.0% | 52.2% | -0.2pt |
営業利益率 | 6.0% | 6.6% | -0.6pt |
原材料費の高騰により原価率は上昇していますが、オペレーションの効率化により販管費を抑えることで、利益を確保する構造になっています。
決算資料の「営業利益増減」の分析を見ると、国内では販管費が32.8億円改善しています。内訳を見ると、家賃などの設備費で16.2億円、労務費で14.0億円の削減効果が出ています。

これは、店舗オペレーションの標準化とコミッサリー(セントラルキッチン)機能の活用によるものです。店舗での調理工程を最小化し、工場で大量生産することで、人件費と店舗家賃あたりの効率を高めています。
マーケターとして注目すべきは、「価格競争力」と「収益性」を両立させるには、バックヤードの徹底的な効率化が不可欠という点です。顧客に見える部分(メニューと価格)だけでなく、見えない部分(オペレーション)での差別化が、持続可能な低価格戦略を支えているのです。
なぜサイゼリヤは選ばれるのか:ブランドポジショニングの明確さ
サイゼリヤが年間3億人近い顧客を獲得できている理由は、「低価格イタリアン」という明確なポジショニングにあります。
ターゲット顧客の明確化
サイゼリヤのターゲットは、「美味しいものを手頃な価格で食べたい」という価値観を持つ幅広い層です。特に以下のような顧客層に強く支持されています。
- 学生やファミリー層(コスパ重視)
- ランチタイムのビジネスパーソン(時短とコスパの両立)
- 若年層(SNS映えよりも実質的な満足度重視)
この「価格に敏感だが、質も妥協したくない」という顧客層は、景気の変動に左右されにくい安定したセグメントです。
競合との差別化ポイント
比較項目 | サイゼリヤ | 一般的なファミレス | 本格イタリアン |
---|---|---|---|
平均客単価 | 約850円 | 1,000〜1,500円 | 2,000円以上 |
メニュー数 | 絞り込み | 豊富 | 季節メニュー中心 |
調理方法 | セントラルキッチン | 店舗調理 | 店舗調理 |
ブランドイメージ | コスパ最強 | 家族向け | 特別な日 |
サイゼリヤは、「本格的なイタリアンの味を、驚くほど低価格で提供する」という独自のポジションを確立しています。これは、上位のレストランと下位のファストフードの間に位置する「バリュー・フォー・マネー」戦略です。
価格据え置きがもたらすブランド価値
多くの外食チェーンが値上げする中、サイゼリヤは主力メニューの価格を据え置いています。この戦略は、短期的には利益率を圧迫しますが、長期的には「サイゼリヤ=安い」というブランド認知を強化し、顧客ロイヤルティを高める効果があります。
実際、決算資料からは、客数の大幅な増加という形で、この戦略の効果が表れています。値上げによる客単価向上を選ばず、価格据え置きによる客数増加を選んだ結果、トータルの売上は前年比14.3%増という高い成長を実現しているのです。
マーケターが学べる良い点
①バリューチェーン全体での最適化
サイゼリヤの強みは、川上から川下まで一貫して管理するバリューチェーンにあります。決算資料の「今後の取り組み」には、「グローバルな視野での、生産・物流・購買の再構築」と明記されています。
具体的には以下のような取り組みが行われています。
段階 | 取り組み | 効果 |
---|---|---|
原材料調達 | 海外農場の直接管理 | コスト削減と品質安定 |
製造 | コミッサリー(セントラルキッチン) | 大量生産による効率化 |
物流 | 自社物流網の構築 | 配送コストの最適化 |
店舗オペレーション | 作業の標準化と簡素化 | 人件費削減と品質均一化 |
このように、単に「安く仕入れる」だけでなく、生産から販売までの全プロセスを最適化することで、持続可能な低価格を実現しています。
マーケターとして学ぶべきは、顧客に提供する価値(低価格)を実現するためには、バックエンドの仕組み全体を見直す必要があるということです。フロントエンドの施策だけでは、持続的な競争優位は築けません。
②データドリブンな店舗展開戦略
サイゼリヤは、出店と退店の判断を明確なデータに基づいて行っています。2025年8月期には151店舗を出店し、38店舗を退店しています。注目すべきは、退店数が前年の71店から38店に大幅減少している点です。
これは、出店時の立地選定の精度が向上し、失敗店舗が減っていることを示唆しています。
項目 | 2024年8月期 | 2025年8月期 | 変化 |
---|---|---|---|
出店数 | 100店 | 151店 | +51店 |
退店数 | 71店 | 38店 | -33店 |
純増数 | 29店 | 113店 | +84店 |
特に海外展開では、成功している市場(香港、シンガポール)には積極的に出店し、苦戦している市場(中国本土)では慎重に様子を見るという、メリハリのある展開戦略を取っています。
マーケターにとって重要なのは、「撤退する勇気」も戦略の一部だということです。全ての市場で成功する必要はなく、勝てる市場に経営資源を集中させることが、長期的な成長につながります。
③DX推進による顧客体験の向上
決算資料の「今後の取り組み」には、「DX推進、IT投資の継続」が明記されています。サイゼリヤは、モバイルオーダーシステムの導入や、データ分析による需要予測など、デジタル技術を活用した効率化を進めています。
特に注目すべきは、テクノロジーを「コスト削減」だけでなく「顧客体験の向上」にも活用している点です。モバイルオーダーは、店舗スタッフの負担を減らすだけでなく、顧客の待ち時間短縮にもつながっています。
マーケターとして学べるのは、DXは目的ではなく手段であり、最終的には「顧客により良い体験を提供する」「より効率的に価値を届ける」という目的のために活用すべきだということです。
考えられる改善点と課題
課題①:海外市場でのローカライゼーション不足
前述の通り、中国本土での既存店売上が前年比80%台と大きく落ち込んでいます。これは、現地の消費者ニーズや経済環境への適応が不十分である可能性を示唆しています。
改善の方向性としては、以下が考えられます。
- 現地の嗜好に合わせたメニュー開発:日本と同じメニューではなく、現地の味覚に合わせたローカライズ
- 価格戦略の見直し:中国の物価水準や競合状況に応じた価格設定
- マーケティングコミュニケーションの現地化:現地のSNSやインフルエンサーを活用したブランディング
特に中国市場では、TikTok(抖音)や小紅書(RED)などの現地SNSでのプロモーションが重要です。日本で成功した「コスパの良さ」というメッセージが、そのまま中国の消費者に響くとは限りません。
課題②:客単価の伸び悩み
客単価は857円と、前年比でわずか2.0%の上昇にとどまっています。これは、低価格戦略が功を奏している反面、客単価向上の余地が限られていることを示しています。
指標 | 金額 | 前年比 |
---|---|---|
客単価 | 857円 | 102.0% |
客数 | 2.99億人 | 112.6% |
今後、さらなる成長を目指すには、客数増加だけでなく、客単価向上の施策も必要です。考えられる施策としては:
- プレミアムメニューの追加:低価格メニューは維持しつつ、付加価値の高いメニューを増やす
- セット提案の強化:単品注文ではなく、セットメニューへの誘導
- サイドメニューやデザートの充実:メインは低価格でも、追加注文で客単価を上げる
ただし、これらの施策を実施する際は、「コスパの良さ」というブランドイメージを損なわないよう、慎重なバランスが求められます。
課題③:人材確保と育成の継続的な取り組み
決算資料の「今後の取り組み」には、「店舗組織の構築ができるストアマネジャーの育成」「出店戦略に向けた、人財の確保、教育制度」が挙げられています。これは、急速な店舗拡大に対応できる人材の不足が課題であることを示唆しています。
特に海外展開では、現地スタッフの採用と教育が成功の鍵を握ります。日本と同じオペレーションを海外でも再現するには、現地マネージャーの育成が不可欠です。
改善策としては、以下が考えられます。
- グローバル人材育成プログラムの強化:本社での研修と現地でのOJTを組み合わせた育成
- キャリアパスの明確化:従業員が長期的にキャリアを描けるような制度設計
- 労働環境の改善:働きやすい環境を整備し、離職率を低下させる
今後も継続的に成長する余地はあるのか
結論から言えば、サイゼリヤには今後も継続的に成長する余地が十分にあります。その理由を3つの視点から説明します。
理由①:国内市場での成長余地
日本の外食市場は成熟していると言われますが、サイゼリヤにはまだ未出店地域が5県(高知県、宮崎県、長崎県、鹿児島県、沖縄県)あります。また、既存の出店地域でも、店舗密度を高める余地があります。
特に注目すべきは、物価高の時代におけるコスパ需要の高まりです。消費者の節約志向が強まる中、低価格で質の高い食事を提供するサイゼリヤへのニーズは、今後さらに高まる可能性があります。
2026年8月期の業績予想では、国内既存店売上を前年比106.5%と見込んでおり、引き続き高い成長が期待されています。
理由②:海外市場の潜在的な可能性
中国本土では苦戦しているものの、香港やシンガポールでは堅調な業績を維持しています。また、決算資料には「海外新拠点や新規国も含めた出店戦略」と記載されており、新たな市場への展開が計画されています。
特に東南アジア市場は、経済成長が続いており、中間層が拡大しています。サイゼリヤの「手頃な価格で本格的なイタリアン」というコンセプトは、こうした成長市場で高いポテンシャルを持っています。
2025年にはベトナムに初出店しており、今後の展開が注目されます。
理由③:オペレーション効率化の継続的な改善
決算資料には、「作業モデル、店舗レイアウトモデル、利益モデルづくり」「コミッサリー機能による店舗作業削減」などの取り組みが明記されています。これは、まだ効率化の余地があることを示しています。
サイゼリヤは、セントラルキッチンの活用や店舗オペレーションの標準化により、すでに高い効率性を実現していますが、さらなる改善の余地があります。
例えば、AI技術を活用した需要予測や、ロボット技術による調理の自動化など、テクノロジーを活用した効率化が進めば、さらなる原価低減と利益率向上が期待できます。
2026年8月期の業績予想では、営業利益を190億円(前年比122.6%)と見込んでおり、利益の大幅な成長が見込まれています。
まとめ:サイゼリヤの決算から学ぶマーケティング戦略のKey Takeaways
サイゼリヤの2025年8月期決算から、マーケターが学べる重要なポイントをまとめます。
①価格戦略は「安さ」だけでなく「価値」で勝負する
- 単なる安売りではなく、「低価格で本格的なイタリアンが食べられる」という明確な価値提案が重要
- 物価高の時代には、価格据え置き自体が強力な差別化戦略になる
- 顧客数の増加は、ブランドの価値が市場に受け入れられている証拠
②バリューチェーン全体の最適化が持続的な競争優位を生む
- 顧客に見える部分(メニューと価格)だけでなく、見えない部分(調達・製造・物流)での差別化が重要
- セントラルキッチンやオペレーションの標準化により、低価格と品質を両立
- バックエンドの効率化なくして、フロントエンドの低価格戦略は成り立たない
③グローバル展開では「ローカライゼーション」が成否を分ける
- 国内で成功したビジネスモデルを、そのまま海外に持ち込んでも成功するとは限らない
- 現地の経済状況、消費者ニーズ、競合環境に応じた柔軟な戦略が必要
- 撤退や縮小も含めた、メリハリのある市場選択が重要
④データドリブンな意思決定で無駄を排除する
- 出店・退店の判断を明確なデータに基づいて行い、投資効率を高める
- DXは手段であり、最終的には顧客体験向上とオペレーション効率化につなげる
- 継続的な改善により、さらなる成長余地を創出できる
⑤ブランドポジショニングの一貫性を保つ
- 「コスパの良さ」という明確なポジショニングを維持し、顧客ロイヤルティを高める
- 客単価向上を目指す際も、ブランドイメージを損なわないバランスが重要
- 長期的なブランド価値の構築が、短期的な利益追求よりも優先される
サイゼリヤの決算は、「低価格戦略」と「高収益」の両立が可能であることを示しています。そのためには、顧客に見える部分だけでなく、見えない部分での徹底的な効率化と、明確なブランドポジショニングが不可欠です。
物価高が続く現代において、サイゼリヤの戦略は、多くの企業にとって参考になるでしょう。単なる値上げではなく、「どうすれば価値を維持しながらコストを下げられるか」という視点で、自社のビジネスを見直すことが、マーケターに求められています。