はじめに
あなたの会社は、今の主力事業だけで5年後も成長し続けられると自信を持って言えますか?市場環境が急速に変化する中、多くの企業が「次の成長の柱」を模索しています。しかし、新規事業の立ち上げは簡単ではありません。既存事業の売上を維持しながら、どうやって新しい領域に投資し、組織を変革していけばいいのでしょうか。
今回は、M&A総研ホールディングス(以下、M&A総研HD)の2025年9月期決算から、この難題に挑む企業のリアルな姿を読み解いていきます。同社は創業以来、M&A仲介事業で急成長を遂げてきましたが、現在は「事業ポートフォリオの変革期」として、コンサルティング事業などへの積極投資を進めています。
この記事では、数字の表面的な解説ではなく、「なぜM&A総研HDはこのタイミングで変革を選んだのか」「どんなマーケティング戦略や組織戦略で次の成長を目指しているのか」という視点で、マーケターが自社に活かせる学びを抽出していきます。
M&A総研HDとは?企業概要と事業モデル

M&A総研HDは、2018年に設立された比較的若い企業で、東証プライム市場に上場しています。主力事業はM&A仲介事業で、中小企業の事業承継問題を解決するためのM&Aサポートを提供しています。
同社のビジネスモデルの特徴は、譲渡企業と譲受企業の双方から手数料を受け取る「仲介型」のモデルです。直接営業による案件獲得に加えて、金融機関や会計事務所との提携による紹介案件も手がけています。また、海外展開も進めており、シンガポールを拠点にアジア、欧州、米国などグローバルな案件にも対応しています。
2024年からは、コンサルティング事業を本格的に立ち上げ、戦略コンサルティングやIT/DXコンサルティングなど、M&A以外の領域にも事業を拡大しています。この多角化戦略が、今回の決算の最大の注目ポイントです。
2025年9月期決算のハイライト
まず、全体の業績を見てみましょう。2025年9月期の連結売上高は166.0億円(前年同期比+0.3%)、営業利益は49.6億円(同-41.0%)という結果でした。一見すると、売上はほぼ横ばい、利益は大幅減という厳しい数字に見えます。

しかし、この数字の背景を理解することが重要です。主力のM&A仲介事業は売上高151.4億円(同-7.1%)と減収でしたが、コンサルティング事業は14.5億円(同+485.4%)と約6倍に急成長しています。つまり、既存事業の減収を新規事業でカバーしながら、事業構造の転換を進めている最中なのです。
営業利益の減少については、コンサルティング事業で7.4億円の営業赤字を計上していることが主因です。これは積極的な人材採用とブランディング投資による「戦略的な先行投資」であり、同社も決算資料で「事業ポートフォリオの変革期」と明言しています。
マーケティング観点での注目点①:事業ポートフォリオの多角化戦略
M&A総研HDが今、最も力を入れているのが「事業ポートフォリオの多角化」です。これは単なる新規事業の立ち上げではなく、グループ全体の収益構造を根本から変えようという野心的な取り組みです。
同社の戦略を図で表すと以下のようになります。
| フェーズ | 主力事業 | 新規事業 | 投資の方向性 |
|---|---|---|---|
| 現在 | M&A仲介事業(売上の約91%) | コンサルティング事業(同約9%) | M&A仲介事業の収益を原資に、コンサルティング事業へ積極投資 |
| 4〜5年後(目標) | M&A仲介事業とコンサルティング事業が同水準 | インキュベート事業の拡大 | 複数事業が相互に成長を支え合う構造 |
この戦略の本質は、「主力事業で得た安定的なキャッシュフローを原資に、次の収益の柱を育成する」という成長サイクルの構築です。マーケターとして注目すべきは、同社が単に事業を増やすのではなく、「4〜5年後にM&A仲介事業とコンサルティング事業の売上規模を同水準にする」という明確な目標を掲げている点です。
なぜ今、この戦略なのか。それは、M&A仲介市場が成熟期に入りつつあることを見越しているからです。実際、2025年9月期のM&A仲介事業は成約率の回復が想定より遅れ、成約件数234件と計画を下回りました。一方で、受託残高(契約済みだがまだ成約していない案件)は1,965件と順調に増加しており、将来の成約に向けたパイプラインは充実しています。
つまり、M&A仲介事業は短期的には厳しいものの、中長期的には安定成長が見込める状況です。この「安定期」をチャンスと捉え、次の成長エンジンであるコンサルティング事業に大胆に投資しているのです。
マーケティング観点での注目点②:採用マーケティングと人材戦略
M&A総研HDの成長戦略において、最も重要な要素の一つが「人材」です。特にコンサルティング事業では、2024年9月期末の28名から2025年9月期末には136名へと、わずか1年でコンサルタント数を約5倍に増やしています。2026年9月期にはさらに300名を目指すという積極的な採用計画です。
この急速な組織拡大を支えているのが、同社の採用マーケティング戦略です。決算資料を読み解くと、以下のような特徴が見えてきます。
採用ターゲットの明確化
同社は「大手コンサルティングファームでのマネジメント経験を有するメンバー」を中心に組織を構成しています。これは、未経験者を大量採用して育成するのではなく、即戦力となる経験者を獲得することで、短期間で事業を立ち上げる戦略です。
採用後の成長機会の提供
決算資料には「ワンプール制による多様な成長機会の創出」という記載があります。ワンプール制とは、コンサルタントを特定の部門や業界に固定せず、案件特性やスキルに応じて柔軟にアサインする仕組みです。これにより、個々のコンサルタントが多様な経験を積み、スキルの幅を広げられる環境を整えています。
独自の管理システムによる働きやすさ
同社は自社開発の管理システムを導入し、稼働率・案件・ナレッジを一元管理しています。これにより、コンサルタントは効率的に働け、成果創出に集中できる環境が実現されています。
多層的な育成プログラム
階層別研修、メンター制度、360度評価、社内交流施策など、組織的かつ継続的な成長を支援する仕組みを整備しています。
採用市場が厳しさを増す中、M&A総研HDは単に「採用数を増やす」のではなく、「採用した人材が活躍し続けられる環境」を整えることで、優秀な人材を惹きつけ、定着させているのです。
マーケティング観点での注目点③:顧客獲得チャネルの多様化
M&A仲介事業において、M&A総研HDは顧客獲得チャネルの多様化を戦略的に進めています。同社は事業部を以下のように分けて、それぞれに異なる戦略を展開しています。
| 事業部 | チャネル | 現状の課題 | 今後の戦略 |
|---|---|---|---|
| 企業情報部(直接型営業) | 自社営業による直接アプローチ | 案件取得フェーズおよび案件化後のディールコントロールに課題 | 教育支援部の拡充によってプロセス全体の精度向上・ディールコントロール力を強化。大型案件獲得のためのカバレッジ担当制を導入 |
| 金融提携部(紹介型営業) | 金融機関からの紹介 | - | 大手及び地域金融機関との新規提携を推進。トレーニーの受け入れや人材出向を通じた関係深化 |
| 会計提携部(紹介型営業) | 税理士法人・会計事務所からの紹介 | - | 担当者と専任部長のチーム体制で開拓を推進。勉強会等の開催を通じたリレーション強化 |
| 海外事業部 | 海外企業へのアプローチ | - | 海外現地パートナーの開拓推進。日本国内同様に直接型の営業活動も展開 |
| 法人部(買手企業担当) | 買手企業の開拓 | - | AIやDXの活用を一層進め、成約可能性の高い候補先企業の効率的な開拓 |
この戦略の本質は、「直接型営業」と「紹介型営業」のバランスを取りながら、リスク分散と成長機会の最大化を図っている点にあります。
直接型営業は自社でコントロールできる反面、コストがかかり、成約率の変動リスクがあります。実際、2025年9月期は企業情報部で案件化やディールコントロールに課題が生じ、成約件数が計画を下回りました。
一方、紹介型営業(金融提携部、会計提携部)は、提携先との関係構築に時間がかかりますが、一度軌道に乗れば安定的に案件が流入します。同社は金融機関へのトレーニー受け入れや人材出向など、単なる業務提携を超えた深い関係づくりを進めています。
また、海外事業部では、シンガポールを拠点にアジア、オセアニア、欧州、米国など幅広い地域をカバーしており、「国内企業×海外企業」「海外企業×海外企業」などクロスボーダー案件の実績も積み上げています。
このように、M&A総研HDは単一チャネルに依存せず、複数のチャネルを戦略的に組み合わせることで、市場環境の変化に強い事業構造を構築しているのです。
なぜM&A総研HDは選ばれるのか?競争優位性の源泉
M&A仲介業界は競争が激しく、大手から中小まで多数のプレイヤーが存在します。その中でM&A総研HDが成長を続けてこられた理由は何でしょうか。決算資料から読み解くと、以下の3つの競争優位性が浮かび上がります。
①徹底したコンプライアンス体制による信頼性の構築
M&A仲介業界では、悪質な譲受企業の排除や利益相反の防止など、コンプライアンスが重要な課題となっています。M&A総研HDは、中小企業庁のガイドラインやM&A支援機関協会の自主規制ルールに加え、独自の厳格なチェック体制を構築しています。
具体的には、新規取引開始時、ディール開始時、ディール開始以降の各段階で、複数の信用調査会社を利用し、約20項目の調査、約100項目のチェックリストによるモニタリングを実施しています。資金力に懸念がある場合は判別できる資料の開示を要請し、確認できない場合はディールを中止するという徹底ぶりです。
この厳格な姿勢は、短期的には案件数を減らすかもしれませんが、長期的には「M&A総研HDに任せれば安心」というブランド信頼性の構築につながります。
②受託残高の積み上げによる将来の成約確度の向上
2025年9月期末時点で、受託残高は1,965件と順調に増加しています。受託残高とは、アドバイザリー契約を締結済みだがまだ成約していない案件のことです。この数字が増えているということは、将来の成約に向けたパイプラインが充実していることを意味します。
M&A総研HDのアドバイザー数は390名で、1人あたり約5件の案件を抱えている計算になります。これは適正な水準であり、各アドバイザーが丁寧に案件に向き合える体制が整っていると言えます。
③複数事業の相乗効果
M&A仲介事業とコンサルティング事業は、一見別々の事業に見えますが、実は相乗効果が期待できます。例えば、M&A後の統合プロセス(PMI)でコンサルティングサービスを提供したり、コンサルティングクライアントからM&A案件につなげたりといったクロスセルの可能性があります。
また、コンサルティング事業で大手企業との取引実績を積むことで、M&A仲介事業における譲受企業候補の開拓にも寄与します。同社の決算資料には、エンタープライズ企業を中心にコンサルティング案件が増加していると記載されており、大手企業とのリレーション構築が進んでいることがわかります。
マーケターが学べる良い点
M&A総研HDの戦略から、マーケターが自社に活かせる学びを3つにまとめます。
学び①:短期の数字悪化を恐れず、中長期視点で事業変革に投資する勇気
多くの企業は、四半期ごとの業績プレッシャーから、短期的な数字を優先してしまいがちです。しかしM&A総研HDは、営業利益が前年比41%減という厳しい状況でも、コンサルティング事業への投資を継続しています。
これは、「今、投資しなければ3年後、5年後の成長はない」という経営判断です。マーケターとしても、「今期の獲得効率」だけでなく、「3年後の市場シェア」「5年後のブランドポジション」を見据えた投資判断が求められます。
学び②:顧客獲得チャネルの多様化とリスク分散
M&A総研HDは、直接営業、金融提携、会計提携、海外展開と、複数のチャネルを戦略的に組み合わせています。一つのチャネルに依存すると、そのチャネルが機能しなくなったときに事業全体が大きな打撃を受けます。
マーケターは、常に「このチャネルが使えなくなったらどうするか」を考え、複数のチャネルでバランスを取りながら顧客獲得を進める必要があります。
学び③:採用マーケティングの重要性
特にBtoB企業やサービス業において、「優秀な人材を獲得し、定着させること」は、マーケティングと同じくらい重要です。M&A総研HDは、単に採用数を増やすのではなく、「採用した人材が活躍し続けられる環境」を整えることで、持続的な成長を実現しています。
マーケターも、自社の採用ブランディングや従業員エンゲージメント向上に関与することで、事業成長に貢献できます。
考えられる改善点と課題
M&A総研HDの戦略は野心的で魅力的ですが、いくつかの課題も見えてきます。
課題①:M&A仲介事業の生産性回復
2025年9月期は、直接型営業において案件取得フェーズおよび案件化後のディールコントロールに課題が生じ、成約件数が計画を下回りました。同社は教育支援部の拡充やカバレッジ担当制の導入など対策を打っていますが、これらの施策が実際に成果を出すまでには時間がかかります。
マーケティング的に言えば、「リード獲得」は順調(受託残高が増加)だが、「リード to 成約」のコンバージョン率に課題があるという状況です。営業プロセスの見直しや、成約確度の高い案件の見極め精度向上が求められます。
課題②:コンサルティング事業の収益化までの道のり
コンサルティング事業は売上高が大きく伸びていますが、まだ営業赤字の状況です。2026年9月期も6.5億円の営業赤字を見込んでおり、黒字化にはもう少し時間がかかりそうです。
採用を急ぎすぎると、組織の質が低下したり、稼働率が下がったりするリスクがあります。同社は現在の稼働率が90%を超える水準と公表しており、2026年9月期は85〜90%を目指すとしています。これは適正な水準ですが、採用スピードと案件獲得のバランスを慎重に管理する必要があります。
課題③:事業間シナジーの具体化
M&A仲介事業とコンサルティング事業の相乗効果は理論的には期待できますが、現時点では具体的な実績がどの程度出ているのかが決算資料からは読み取れません。今後、クロスセルの実績や、事業間での顧客・知見の共有がどう進んでいるのかを明確に示すことが、投資家や市場からの評価につながるでしょう。
今後も継続的に成長する余地はあるのか?
結論から言えば、M&A総研HDには継続的な成長余地が十分にあると考えられます。その理由を3つの観点から説明します。
理由①:M&A市場の構造的な成長余地
日本では、中小企業経営者の高齢化と後継者不在という構造的な問題があり、M&Aによる事業承継ニーズは今後も拡大が見込まれます。帝国データバンクの調査によると、日本の中小企業の約65%が後継者不在という状況です。
同社の受託残高が順調に増加していることは、市場のニーズが依然として旺盛であることを示しています。短期的には成約率の回復に課題がありますが、パイプラインは充実しており、中長期的には安定成長が期待できます。
理由②:コンサルティング事業の成長ポテンシャル
コンサルティング事業は、まだ立ち上げから1年程度の段階です。すでに大手メーカー、大手IT企業、大手総合商社、大手総合電機メーカーなど、エンタープライズ企業との取引実績が積み上がっています。
同社のコンサルタントは大手コンサルティングファーム出身者が中心で、サービス品質は高いと考えられます。今後、顧客からの継続案件が増え、紹介による新規案件も獲得できれば、売上の拡大とともに収益性も向上していくでしょう。
同社は「4〜5年後にM&A仲介事業と同水準の売上高」という目標を掲げています。2025年9月期のM&A仲介事業の売上が151億円ですから、コンサルティング事業も150億円規模を目指すということです。2025年9月期の実績が14.5億円ですから、年平均成長率60〜70%程度を想定していることになります。これは野心的な目標ですが、現在の成長率(+485%)を考えると、決して不可能ではありません。
理由③:事業ポートフォリオの分散によるリスク低減
単一事業に依存している企業は、その事業が停滞すると全社の成長が止まってしまいます。M&A総研HDは、複数事業を育てることで、一つの事業が短期的に低調でも、他の事業でカバーできる体制を構築しています。
2025年9月期は、まさにM&A仲介事業の減収をコンサルティング事業の成長でカバーした形になりました。今後、各事業が成長軌道に乗れば、グループ全体として安定的かつ持続的な成長が実現できるでしょう。
まとめ:M&A総研HDから学ぶマーケティング戦略のポイント
最後に、M&A総研HDの決算から得られるマーケティング戦略のヒントを、実践的なポイントとしてまとめます。
変革期の戦略投資の重要性
短期的な利益の減少を恐れず、中長期的な成長に向けて戦略的に投資することの重要性を、M&A総研HDは示しています。マーケターは経営層に対して、「今、投資しなければ3年後の成長はない」というストーリーを、データと論理で説得する力が求められます。
顧客獲得チャネルの多様化とリスク分散
直接営業、提携営業、海外展開など、複数のチャネルを戦略的に組み合わせることで、一つのチャネルに依存するリスクを低減できます。自社のチャネルポートフォリオを定期的に見直し、新しいチャネルの開拓にチャレンジすることが大切です。
採用マーケティングの重要性
特にBtoB企業やサービス業において、優秀な人材の獲得と定着は事業成長の鍵です。単に採用数を増やすのではなく、「入社後に活躍し続けられる環境」を整えることで、持続的な組織成長を実現できます。
コンプライアンス強化によるブランド信頼性の構築
短期的には案件数や効率を犠牲にしても、長期的なブランド信頼性を優先する姿勢は、競争優位性の源泉となります。マーケターは、企業の社会的責任や倫理的な姿勢を、ブランドメッセージとして効果的に発信することが求められます。
事業間シナジーの創出
複数事業を展開する場合、それぞれを独立して運営するのではなく、顧客データや知見を共有し、クロスセルの機会を創出することで、グループ全体の成長を加速できます。マーケターは事業部の壁を越えて、全社的な顧客戦略を描く視点が必要です。
M&A総研HDの挑戦は、まだ始まったばかりです。今後、同社がどのように事業ポートフォリオの変革を実現し、複数事業で持続的な成長を達成していくのか、引き続き注目していきましょう。そして、その過程から、私たちマーケターが学べることは数多くあるはずです。

