はじめに
マーケティングの世界では、確実なデータがない状況で意思決定を求められることがよくあります。市場規模、顧客数、競争環境などを迅速に推測するスキルが求められる場面も多いでしょう。そこで役立つのがフェルミ推定です。
フェルミ推定は、ざっくりとした数値の推論を行うための思考法で、ビジネスの現場でも広く活用されています。
本記事では、フェルミ推定の基本とマーケティングにおける活用方法、具体的な事例を解説します。
フェルミ推定とは?
フェルミ推定とは、イタリアの物理学者エンリコ・フェルミが得意とした、限られた情報から合理的な数値を導き出す推定方法のことです。
例えば、「日本全国にピアノ調律師は何人いるか?」といった問題を、手元にある情報から段階的に推測していきます。
マーケティングの場面では、市場規模の推定や広告の効果予測などに応用できます。
フェルミ推定の手順
- 問題を分解する
- 求めたい数値を複数の要素に分解し、因数分解の形で整理する。
- 例えば、「国内のピアノ調律師の数」を求める場合、
- 日本の人口
- 1世帯あたりのピアノ保有率
- ピアノの調律が必要な頻度
- 1人の調律師が1年間で対応できる件数 などの要素に分解する。
- 既存のデータを活用する
- 公的統計データ(総務省、経済産業省など)や業界レポートを参考にする。
- もし正確なデータがない場合は、過去の経験や一般的な知識から推定する。
- 合理的な仮定を設定する
- 既存データだけでは埋められない数値は、現実的な範囲で仮定を置く。
- 仮定を立てる際は、極端すぎず、一般的に受け入れられる範囲にする。
- 例:ピアノの調律頻度を「年1回」とするなど。
- 要素ごとの数値を掛け合わせる
- 分解した各要素を掛け合わせて全体の概算を導く。
- 例:
- 日本の世帯数:5000万世帯
- ピアノの普及率:10%
- 1台のピアノが調律される頻度:年1回
- 1人の調律師が対応できる件数:1000件/年
- → 5000万 × 10% ÷ 1000 = 5万人(全国のピアノ調律師数の推定値)
- 結果を検証し、妥当性を確認する
- 他のデータと照らし合わせて、結果が妥当かどうかチェックする。
- 過去の事例や業界関係者の意見と比較することで、より精度の高い推定値を得られる。
- 幅を持たせた推定を行う
- 推定値が1つの数値に固まらないよう、「最小値」「最大値」の範囲を設定する。
- 例えば、「3万人~7万人の間」といった形で、許容範囲を持たせる。
- 不確実性を考慮し、最悪のケースと最高のケースの両方を想定する。
この手順を踏むことで、データが不足している状況でも、合理的なマーケティング判断が可能になります。
フェルミ推定のマーケティング活用事例
① BtoC商品の市場規模の推定
例題:国内の高級ワイヤレスイヤホン市場の規模は?
分解ステップ
- 日本の人口 → 約1.25億人
- 成人(20歳以上)の割合 → 約80%(1億人)
- ワイヤレスイヤホンの普及率 → 約50%(5000万人)
- 高級イヤホン(3万円以上)を購入する人の割合 → 約10%(500万人)
- 1人当たりの年間購入数 → 0.5個(2年に1回買い替えると仮定)
- 平均単価 → 3万円
計算 500万人 × 0.5個 × 3万円 = 750億円(市場規模の推定値)
② BtoB商品の市場規模の推定
例題:国内の法人向けクラウド会計ソフトの市場規模は?
分解ステップ
- 日本の法人企業数 → 約400万社(個人事業主を除く)
- クラウド会計ソフトを導入する企業の割合 → 約30%(120万社)
- 企業規模別の導入割合
- 中小企業(300万社):20%が導入(60万社)
- 中堅企業(80万社):50%が導入(40万社)
- 大企業(20万社):100%が導入(20万社)
- 1社あたりの年間利用料金(サブスクリプション型) → 12万円
計算 (60万 + 40万 + 20万)社 × 12万円 = 1440億円(市場規模の推定値)
③ 広告のリーチ数の推定
例題:SNS広告で1000万円投下した場合、何人にリーチできるか?
分解ステップ
- SNSの平均CPM(1000回表示あたりのコスト) → 500円
- 予算を使った際のインプレッション数 → 1000万円 ÷ 500円 = 200万インプレッション
- クリック率(CTR) → 2%(業界平均)
- クリック数 → 200万 × 2% = 4万クリック
- コンバージョン率(CVR) → 5%(クリックした人のうち5%が購入などのアクションを実施)
- 最終的な成果 → 4万 × 5% = 2000件のコンバージョン
結論 1000万円で約200万人に広告を表示し、4万人がクリック、2000件のコンバージョンが期待できる。
④ 新規事業の売上予測
例題:都市型コワーキングスペースの年間売上は?
分解ステップ
- 1店舗の収容人数 → 100席
- 平均稼働率 → 70%(70人が毎日利用)
- 1人あたりの月額料金 → 3万円(都心部の相場)
- 1店舗あたりの月間売上 → 70人 × 3万円 = 210万円
- 1店舗あたりの年間売上 → 210万円 × 12ヶ月 = 2520万円
- 追加収益要素(ドロップイン利用、会議室貸し出しなど) → +30%(756万円)
- 合計1店舗あたりの年間売上 → 2520万円 + 756万円 = 3276万円
- 店舗数 → 10店舗
結論 年間売上 = 3276万円 × 10店舗 = 32.76億円
フェルミ推定を活用するメリット
✅ データ不足の状況でも意思決定ができる
ビジネスでは、正確な市場データが手に入らないことが多々あります。フェルミ推定を活用することで、
- 大まかな市場規模を算出し、投資判断の目安にする
- 競合分析の基準を作る
- 新規市場のポテンシャルを評価する といった意思決定が可能になります。
✅ 迅速なマーケティング戦略立案ができる
フェルミ推定を使うことで、限られた時間の中でも市場規模やターゲットセグメントの特定が可能です。 例えば、
- 新商品を展開するべき市場の選定
- 広告予算の配分計画
- プロモーション施策の効果予測 などを迅速に策定し、即座に実行へ移せるメリットがあります。
✅ 仮説検証のスピードが上がる
マーケティング施策では、PDCAサイクルを素早く回すことが成功の鍵となります。フェルミ推定を活用すると、
- テストマーケティングの結果を元に早期調整が可能
- A/Bテストのデータが少なくても合理的な意思決定ができる
- 施策の初期段階で大きな失敗を避けられる といった利点があり、仮説検証のスピードが格段に向上します。
✅ コストを抑えた分析ができる
大規模な市場調査やコンサルティングに頼らなくても、自社のリソースのみで仮説を立て、マーケットの概算を把握できます。例えば、
- 競合の市場シェアを概算し、参入余地を検討
- 広告投資の回収可能性を事前に試算
- 顧客獲得コスト(CAC)の予測 といった重要なマーケティング指標を、少ないコストで算出できる点が大きな強みです。
✅ 定量的な根拠を持って社内提案ができる
マーケティング戦略を立案する際、定性的な意見ではなく、定量的なデータを示すことで、
- 経営陣の納得感を高める
- 意思決定のスピードを速める
- 実行予算の承認を得やすくする といったメリットがあります。特に新規事業の立ち上げ時や、新たな市場への参入検討時に有効です。
✅ 不確実性の高い環境でも柔軟に適用できる
フェルミ推定は、どんな業界やビジネス環境でも応用可能です。 例えば、
- BtoC市場(消費者向け製品・サービス) → 市場規模や消費者数の推定
- BtoB市場(法人向け製品・サービス) → 企業数や購買単価の概算
- グローバル市場の分析 → 各国の市場データがなくても大まかな市場の大きさを把握 といった形で、さまざまなビジネスシーンで活用できます。
フェルミ推定を活用することで、データが不十分な状況でも迅速かつ合理的なマーケティング判断が可能になります。市場調査や広告戦略、新規事業開発の際に、この思考法をぜひ取り入れてみてください。
フェルミ推定をするときの要素分解のコツ
✅ トップダウンとボトムアップの両方で考える
- トップダウンアプローチ:市場全体やマクロデータを起点に分解。
- 例:「国内の飲食店の売上」→「外食産業全体の売上」→「飲食店の数」→「1店舗あたりの売上」
- ボトムアップアプローチ:小さな単位を積み上げて計算。
- 例:「1人あたりの月間購入額」×「顧客数」×「年間購入回数」
✅ 主要な要素を3〜5個に分解する
- 過剰に細かくしすぎると精度が下がるため、適切な粒度で因数分解。
- 例:「市場規模の推定」なら以下のように分解。
- 対象人口(全体の母数)
- 利用率(市場への関与度)
- 購買頻度(年間購入回数)
- 平均購入単価(1回あたりの購入額)
✅ 変動要素を考慮して幅を持たせる
- 変数が1つでもブレると結果が大きく変わるため、「楽観値」「悲観値」の両方を考慮。
- 例:「国内のスマートフォンユーザー数」
- 楽観的推定:90%の普及率(1.1億人)
- 悲観的推定:70%の普及率(8750万人)
- 最終的に 8750万〜1.1億人の範囲 で推定
✅ 乗算と加算の使い分け
- 乗算:「市場規模 = 人口 × 利用率 × 平均購入額」のように、各要素が独立している場合。
- 加算:「合計販売数 = 既存顧客の購入数 + 新規顧客の購入数」のように、異なる層を合算する場合。
✅ 実際のデータと比較して妥当性を検証する
- 推定後に、実際の市場データや既存の業界レポートと比較して、大きな乖離がないかをチェック。
- もし乖離が大きければ、どこでズレが生じたかを特定し、仮定を見直す。
✅ 段階的に精度を高める
- まずはざっくりと大きな範囲で見積もり、後から精度を上げていく。
- 例:「国内のカフェ市場の売上」
- 初期推定:「1店舗の売上 × 全国のカフェ店舗数」
- 精度向上:「立地や業態別に店舗数を分類」
- さらに精度向上:「チェーン店と個人店の比率を考慮」
フェルミ推定を正確に行うには、要素の適切な分解と、現実に即した仮定の設定が不可欠です。他のコツもご紹介していきます。
フェルミ推定の活用を成功させるコツ
✅ 問題の適切な分解を行う
上記で述べたように、フェルミ推定を活用する際には、問題を適切に分解することが重要です。大きな数値を一気に推定しようとせず、細かい要素に分解して段階的に考えることで、より精度の高い推定が可能になります。
- 市場規模を推定する場合 → 消費者数 × 購買頻度 × 平均単価 のように分解
- 広告効果を推定する場合 → インプレッション数 × クリック率 × コンバージョン率
✅ 既存データを活用する
フェルミ推定はゼロから考えるものではなく、活用できる統計や業界データをうまく取り入れることで、精度を高めることができます。
- 総務省や経済産業省の統計データ
- 市場レポートや業界団体の調査データ
- 過去の類似プロジェクトのデータ
✅ 現実的な仮定を設定する
フェルミ推定では仮定を置くことが必須ですが、その仮定が極端にならないように注意が必要です。
- 過去のデータや経験則をもとに仮定を置く
- 極端な楽観・悲観的な数値は避け、合理的な範囲で推定する
- 可能であれば、仮定の幅を設定し、最小値・最大値を考慮する
✅ 複数の方法で検証する
フェルミ推定の精度を高めるためには、異なる手法で検証することが有効です。
- 異なる視点での計算を行う(トップダウンアプローチとボトムアップアプローチ)
- 他の人の意見を取り入れ、妥当性をチェックする
- 近い市場や類似製品のデータと比較する
✅ 誤差を考慮して幅を持たせる
フェルミ推定はあくまで概算なので、ピンポイントの数値ではなく、誤差を考慮した幅を持たせることが重要です。
- 「最小値」「最大値」のレンジを設定する
- 一般的な市場変動や不確定要素を考慮する
- 幅が大きくなりすぎる場合は、どこに不確実性があるのかを分析する
✅ 簡潔に説明できるようにする
フェルミ推定は、素早く意思決定を行うための手法です。そのため、結果を関係者に簡潔に説明できるようにまとめることが重要です。
- 計算のロジックを簡単なステップで示す
- なぜこの仮定を置いたのか、根拠を明確にする
- スライドやドキュメントで視覚的に整理し、伝わりやすくする
フェルミ推定を成功させるためには、適切な分解、既存データの活用、合理的な仮定の設定、複数の検証手法の利用、誤差の考慮、そして簡潔な説明が欠かせません。これらのポイントを意識することで、より精度の高いマーケティング判断が可能になります。
まとめ
フェルミ推定は、マーケターが直面する「不確実な状況下での意思決定」において非常に役立つ思考法です。
市場規模の推定、広告効果の見積もり、売上予測など、マーケティングのさまざまな場面で活用できます。
ぜひ、日常の業務の中でフェルミ推定を取り入れ、データドリブンな意思決定をスピーディーに行いましょう!