はじめに
食パン専門店「乃が美」は、「高級食パン」という新しい市場を創出し、一世を風靡しました。しかし、近年では閉店ラッシュが相次ぎ、その勢いは大きく衰退しています。なぜ乃が美は成功し、なぜ衰退したのか。そして、マーケターはこの事例から何を学ぶべきなのか。本記事では、乃が美の成功要因、衰退の背景、そして今後のマーケティング戦略に活かせる教訓について詳しく解説します。
乃が美について


公式サイト:https://nogaminopan.com/
乃が美(のがみ)は、高級「生」食パン専門店であり、2013年に大阪府で創業されました。創業者の阪上雄司氏は、幼少期の家庭の事情から食べることに苦労した経験をもとに、誰もが愛される食パンを作りたいと考えました。特に、老人ホームでの慰問活動を通じて、高齢者が食べやすい柔らかいパンの必要性を感じ、卵アレルギーの子供たちにも配慮したパン作りを目指したそうです。
特徴
- 素材へのこだわり: 乃が美の食パンは、卵を一切使用せず、カナダ産の最高級小麦を100%使用しています。これにより、焼かずにそのまま食べても美味しい食パンが実現されています。
- 製法: 乃が美の食パンは、柔らかさや甘み、香りにこだわり、試行錯誤の末に完成しました。特に、焼き上がりの柔らかさは「腰折れ」に近い状態で、常識を覆す食感を持っています。
- 販売戦略: 創業当初は高価格(800円)であったため、周囲からは懐疑的な声もありましたが、口コミや評判が広まり、行列ができる人気店へと成長しました。現在では、全国47都道府県に173店舗を展開しています。
- 新商品開発: 乃が美は、新しい食パンの開発にも挑戦しており、最近では「黒山乃が美」という新感覚の食パンも登場しています。この商品は、香ばしさと食感を引き出す独自の製法を用いています。
乃が美の店舗数の推移
創業から拡大期
- 2013年: 大阪府に総本店をオープン[13]。
- 2018年: 東京初出店(麻布十番店)を果たし、全国的な展開を加速。
- 2020年: 全国47都道府県への出店を達成し、ピーク時には約240店舗を展開。
縮小期
- 2022年: コロナ禍や市場の飽和により、店舗数が減少。都内8店舗が閉店するなど、フランチャイズ店舗の経営難が顕在化。
- 2023年: フランチャイズ店舗の閉店が相次ぎ、店舗数は約141店舗に減少。この年にはさらに100店舗が閉店の危機に直面。
- 2024年: 店舗数は最盛期の半分以下となり、116店舗にまで減少。直営店を除くと100店舗を切る状況に。
2020年までの乃が美の成功要因
乃が美は「高級食パン」という新しいカテゴリを作り出し、ブランドのポジションを確立しました。その成功を支えた要因は以下の3つです。
「高級食パン」というカテゴリ創出
乃が美は、「生食パン専門店」というコンセプトを打ち出し、従来の「パンは焼いて食べるもの」という常識を覆しました。
- Who(ターゲット):
- ちょっとした贅沢を楽しみたい層(30〜50代の主婦・シニア層)
- ギフト需要のある層(お中元、お歳暮、手土産として活用)
- What(提供価値):
- 高級感のあるふわふわ食感
- 無添加・こだわりの素材を使用
- 「焼かずに食べる」という新しい食べ方の提案
- How(提供方法):
- 百貨店のような高級感のある店舗デザイン
- 「予約しないと買えない」という希少性マーケティング
- 高価格設定(1本800円以上)でプレミアム感を演出
結果として、「高級食パン=乃が美」というブランド認知を獲得し、市場を独占しました。
ブランドイメージの確立
乃が美は、ブランディングにおいて次のような施策を実施しました。
- 「生食パン専門店」としての差別化
- 競合との差を明確にし、「乃が美のパンは特別」という認識を形成
- メディア戦略の活用
- 雑誌、テレビ番組で「行列ができるパン屋」として紹介
- 「日本で一番おいしい食パン」として口コミを醸成
- 手土産需要の取り込み
- 高級感のある包装、紙袋を採用
- 「贈答用パン」という新たな市場を開拓
これにより、乃が美は「特別なパン」「プレミアムなギフト」というブランドイメージを構築しました。
市場環境の追い風
乃が美の成功には、当時の市場環境も大きく影響していました。
- 高級志向の消費トレンド
- 「ちょっとした贅沢」が求められる時代背景
- 健康志向の高まりにより、無添加・高品質な食品への需要増加
- コロナ禍による「おうち時間」の増加
- 家での食事を充実させるニーズが拡大
- お取り寄せ・ギフト需要が伸びた
これらの追い風を活かし、乃が美は急成長を遂げました。
コロナ禍以降の乃が美の衰退要因
成功した乃が美ですが、現在は全国で閉店が相次いでいます。その理由を探ると、主に以下の3つの要因が挙げられます。
競争環境の激化
「高級食パン」の成功を受け、類似ブランドが急増しました。
- 新規参入の増加
- 乃が美の成功モデルを模倣した競合店(「銀座に志かわ」「考えた人すごいわ」など)が続々と登場
- それぞれが「水にこだわる」「甘みが強い」などの差別化を図り、競争が激化
- 機能的価値のコモディティ化
- 「無添加」「ふわふわ」「高価格」といった特徴が他ブランドでも当たり前に
- 乃が美の独自性が薄れ、「どこの高級食パンを買っても同じ」という状況に
高価格帯の維持が困難
原材料の高騰や節約思考によりビジネス効率が悪くなってきました。
- 原材料費の高騰
- 小麦、バター、牛乳などの価格が上昇し、利益率が圧迫
- 消費者の節約志向の高まり
- 物価高の影響で「高級食パンは贅沢品」として敬遠される傾向に
- リピート率の低下
- 一度は話題で買うが、日常的に消費するには価格が高すぎる
事業の急拡大と経営リスク
最盛期は200店舗を超える店舗数まで拡大したことで、プレミアム感や希少性が薄れていきました。
- フランチャイズ(FC)展開のリスク
- 急速な店舗拡大により、品質管理が難しくなる
- FCオーナーの経営力にバラつきが出て、ブランド価値が低下
- 「行列のできる店」から「どこでも買える店」へ
- 全国展開によってプレミアム感が薄れ、希少性が失われる
マーケターが学ぶべき教訓
この乃が美の成功と衰退から我々マーケターが教訓とするべきことは何なのでしょうか。
新市場の先行者利益は長続きしない
乃が美の事例から分かるのは、「成功したビジネスモデルは模倣され、機能的価値はすぐにコモディティ化する」という現実です。どんなに画期的な商品・サービスであっても、時間とともに市場に浸透し、競合が模倣し、やがてコモディティ化していきます。つまり、新市場のファーストペンギンとして最初は成功しても、先行者利益は長く続きにくいという事実があるということです。
- 新規性があるうちは市場の独占が可能
- 「高級食パン」という新ジャンルを切り開いた初期の乃が美は、ほぼ唯一の選択肢として市場を支配できた。
- 模倣が始まると独自性が薄れる
- 「水にこだわる」「トースト向け」などの新たなブランドが登場し、「高級食パン」というカテゴリ自体が一般化。
- 消費者の目が肥え、価格と品質のバランスが求められる
- 最初は「特別なもの」として受け入れられたが、やがて「そこまで特別ではない」と判断され、価格に対する期待値が変化。
では、企業はどのようにして独自性を持続的に維持し、競争優位を確保すればよいのでしょうか。
独自性を維持するために取るべき戦略
1. 独自性の深化(ブランドの進化)
- 「高級食パン」という概念を超え、さらにプレミアムな体験を提供し、機能的価値ではなく、「乃が美のパンを買う理由」を再定義
- 例:「乃が美サロン」として、焼きたてのパンと専属シェフによるペアリング体験を提供。
- 例:「乃が美クラブ」を設立し、会員限定の特別パンやオンラインイベントを実施。
- 例:「ストーリー性のある製造過程の公開」
2. 新市場の開拓
- 乃が美は、BtoC(消費者向け)市場に依存していたが、BtoB(業務用)市場に進出することで新たな販路を確保できた可能性がある。
- 例:カフェやホテルの朝食メニューとして特別仕様のパンを提供。
- 例:コンビニやスーパー向けに「乃が美監修パン」を展開し、日常消費にアプローチ。
3. 独自価値の再定義
- 競争が激化すると、消費者の選択基準は「価格 × 品質」になる。そのため、価格競争に巻き込まれる前に、新たな独自価値を創出する必要がある。
- 例:「健康」「機能性」などの要素を取り入れた新商品ラインを開発(低糖質パン、グルテンフリー版など)。
- 例:乃が美のパンの楽しみ方を提案する「食文化コンテンツ」を充実させ、ブランド体験を強化。
継続的なイノベーションと市場適応
乃が美のように、一度成功を収めたブランドが長期的に成長し続けるためには、独自性の継続と同時に、継続的なイノベーションと市場環境の変化への適応が不可欠です。
(1) 消費者ニーズの変化に対応する
消費者の嗜好は時代とともに変化します。高級食パンブームのように、特定のトレンドが一時的に市場を席巻しても、そのトレンドが持続する保証はありません。企業は常に市場動向をモニタリングし、消費者の新たなニーズを捉える必要があります。
- 健康志向の高まりへの対応:
- 低糖質・高タンパク・グルテンフリーの食パンなど、新たな健康ニーズに応える商品開発。
- オーガニックや国産素材へのシフト。
- ライフスタイルの変化への適応:
- 単身世帯向けの少量パッケージ。
- テイクアウトやデリバリー対応の拡充。
- 保存性を高める技術の導入。
(2) 商品ラインナップの多様化
1つの成功商品に依存しすぎると、市場変動の影響を受けやすくなります。乃が美も「生食パン」一本にフォーカスしすぎたため、新たな消費ニーズに対応できず、競争力を失いました。
- 新商品カテゴリーの展開:
- スイーツ系食パンやフレーバーバリエーション(抹茶、黒糖、ナッツ入りなど)。
- 冷凍パン市場への参入。
- パンに合うバターやジャムなどの関連商品を展開。
(3) 体験価値の向上
高価格帯の商品を売るためには、消費者に「それだけの価値がある」と納得させる体験を提供する必要があります。
- 食パン専門カフェの展開:
- 乃が美のパンを最高の状態で提供するカフェやイートインスペースを設置。
- シェフがパンに合う食事を提案するプレミアム体験。
- パン作り体験ワークショップ:
- 消費者が乃が美のパン作りを体験し、ブランドへの愛着を深める機会を提供。
まとめ
乃が美の閉店ラッシュは、高級食パンブームの終焉ではなく、「独自性を維持し続けられなかった企業が淘汰された」結果です。
先行者利益は短い
- 成功したビジネスモデルは必ず模倣され、競争が激化する。
- 競争が激化すると、消費者の選択基準は「価格 × 品質」へと移行する。
価格戦略とターゲット層の見直しが必要
- 高価格帯の維持が難しくなったら、適正価格で提供する方法を考える。
- 高級路線だけでなく、一般消費者向けの価格帯の商品も展開。
ブランドの深化と付加価値の提供が重要
- ブランドの価値を再定義し、「なぜ乃が美のパンを選ぶべきなのか」を明確にする。
- ただの食パンではなく、食体験としての価値を提供する。
独自性の継続が成否を分ける
- 企業が生き残るには、常に「次の一手」を打ち続けることが求められる。
- 独自性の維持には、定期的な市場調査と商品開発が不可欠。
- ブランドの成長には、消費者との接点を増やし、ロイヤルカスタマーを育成する仕組みが重要。
乃が美の事例から、マーケターは以下のことを学ぶべきです。
- トレンドの波に乗るだけでなく、次のトレンドを作る視点を持つ。
- 競争の激化を前提に、価格や価値のバランスを見直し続ける。
- ブランドの付加価値を維持・進化させるための施策を常に検討する。
- 消費者の変化を捉え、適応し続けることが生き残る鍵である。
乃が美の事例は、高級食パン市場だけでなく、他の業界にも応用可能なマーケティングの教訓を示しています。重要なのは、「独自性を生み出した後に、それをどのように維持し、進化させるか」です。ぜひ世の中のブランドの成功と衰退から学んでいきましょう。